『松澤宥と水谷勇夫①水谷勇夫アーカイヴより「水谷勇夫の行動芸術」』展

●展覧会のお知らせ

◯『松澤宥と水谷勇夫① 水谷勇夫アーカイヴより「水谷勇夫の行動芸術」』展 を開催いたします。

場所:AMC アート&マインドセンター
住所:愛知県名古屋市千種区稲舟通1丁目17-2
期間:10/1(土)〜11/7(月)の土・日・月曜日
時間:13時から18時(アポイントメント制)

※ご来場頂く際は、ご希望日の前々日18時までにメールにてお知らせください。メールの返信にて日時の確定とさせていただきます。
📩(水谷イズル)artandmindcenter@gmail.com
(ご希望日時・お名前・同伴者人数・メールアドレス・携帯番号)をご記載の上、ご連絡ください。


●松澤宥と水谷勇夫1 水谷勇夫アーカイヴより「水谷勇夫の行動芸術」
水谷イズル

はじめに
戦後日本美術を牽引した二人のアーティスト。水谷勇夫と松澤宥は共に1922年生まれ。 今年生誕100年を迎えました。(水谷勇夫は大正11年1月1日生、松澤宥は1922年2月2日生) 彼らは共に、美術文化協会(中部)に所属し、読売アンデパンダン展で活動するなど、共に行動しました。 (1952年第12回美術文化協会展の図録にその名前が見えます。) 生前、水谷勇夫は松澤宥とは同じ釡の飯を食った仲だと言っていました。 水谷勇夫と松澤宥は早くから頭角を現し存在感を示していたことが、資料から読み取れます。

当時前衛美術を志す作家はそれほど多くはなく、周りの理解も得られない中、同じ志を持つ同志として友情 を深めていったようです。美術文化協会を脱会した後も、松澤宥と水谷勇夫はたびたび行動を共にしまし た。ともに団体に所属せず、一匹狼的な動きをしていましたが、二人は共に自律したアーティスト同士の緩 やかなグループであるアートコレクティブを形成し、「芸術運動」を推進しました。

1977年に松澤宥はサンパウロビエンナーレ展に「九相の室」を出品します。 今年の2月に長野県立美術館で開催された「生誕100年 松澤宥」展では、その再現展示が行われました。 壁面には「21人のニルヴァーナ系アーティスト」として概念芸術の作家の写真パネル展示がされ、床面には 松澤宥が9枚の白い紙をおき、命題を読み上げて置いてゆくというパフォーマンスが行われたようです。 水谷勇夫は「玄界遊行」と第した「行動芸術」の写真パネルを展示しました。

今回、水谷勇夫アーカイブの中から、当時の「水谷勇夫の行動芸術」玄界遊行 玄界遍路の前後のフィルム と、当時の写真パネルが出てきました。 水谷勇夫は松澤宥の「概念芸術」に呼応する形で、「行動芸術」を提唱したものと思われます。

祈るように手を合わせた、テラコッタ(素焼きの焼き物)を、「玄界」と墨書した背負子に入れて背負い、 日本各地を周り、人知れず置いてくるということをしていました。 場所は当時、四日市喘息の公害が問題となっていたコンビナートの前だったり、河原や山間僻地の祠などで した。今でこそ、SDG’sなど地球環境を守りましょうなどと企業なども合言葉にしていますが、当時は公害 に反対したり、環境を守ろうというのは、国策に反する言動として好意的には受け止められませんでした。 たった一人で巨大なコンビナートの前に作品を対峙させる姿は気迫に満ちており、怒りを感じるかもしれま せん。一方で、非力でありながら芸術の力で食い止めようとする行為は、風車に立ち向かうドンキホーテの ようでもあり、滑稽に映るかもしれません。

今回、現時点で水谷勇夫アーカイブの中から見つかった、松澤宥に関わる資料を展示いたしました。 この二人の芸術家の交流と、当時の社会状況、芸術状況を知る手掛かりにしていただければ幸いです。

(水谷勇夫アーカイブにはまだ膨大な資料が残されており、調査が進んでいません。もしご興味のある方が いらっしゃいましたら、お見せいたしますので、お気軽にお声がけください)

AMCアート&マインドセンター 水谷イズル


◯また、10月28日からは名古屋画廊にて「生誕100年水谷勇夫展 ISAO MIZUTANI 」を開催いたします。
場所:名古屋画廊
住所:愛知県名古屋市中区栄1-12-10
期間:10月28日(金)〜11月5日(土)
時間:11:00a.m.〜6:00p.m.(土曜日は12:00p.m.〜5:00p.m.)日・祝休廊